自分にとっての「守護神」という言葉を聞くと、何だかとても壮大なものに感じられませんか?
算命学でいうところの「守護神」とは、”バランスをとってれる有難い存在”と位置づけます。
守護神を消化すると運が上がると言われますが、守護神は、日干(自分自身)を鍛えてくれる存在なのです。
自分自身を鍛えてくれて、運が上がるなんてどんなに素敵な存在なのだろうと思いますよね。
私もそう思っていました(笑)
算命学的に見る、自分を鍛えてくれて運を上げてくれる存在というのは、自分の気持ちとは別物なんです。
もちろん、有難い存在には変わりないですし、自分にとってプラスになるというのは間違いないのですが、鍛えてくれるということは、ガツンと向き合わないといけない課題をくれる存在でもあるのです。
守護神は基本的に、親族関係から人物をピックアップしていくのですが、友人などでも守護神を持つ人をピックアップできないわけではありません。(厳密に言うと、違いますと言われる先生もいらっしゃるかもしれませんが・・・)
わかりやすく言えば、「この人、嫌だなぁ」と思ったとします。
でも、その人が守護神だとしたら、自分の感情としては嫌だと感じているわけですが、算命学でみると自分にとっては有難い存在なのです。
もっと詳しく説明すると、嫌だと思う感情が、自分の痛いところを突かれるような”感覚”です。
その人といると、そこに向き合わないといけなくなるので嫌だなぁと思うこともあります。
ここで注目してほしいのが、嫌だという感情ではなくて、自分の痛いところを突かれるような”感覚”の方です。
守護神の存在全ての人が嫌いとか、嫌だというわけでは決してありません。
すごく温かく迎え入れてくれるような守護神の人もいます。
この人とは離れた方がいい!という直感的な本能のようなものではなくて、大事なことに向き合うところを避ける”感覚”。
そこが、自分のことを鍛えてくれるわけなのです。
「感情を感じなさい」とよく言われますが、感情は曖昧なものです。
吊り橋効果と呼ばれる現象をご存知の方もいると思いますが、吊り橋の恐怖にドキドキしているのに、一緒に行った人にドキドキしてしまい、好きだと勘違いしてしまう現象のこと。
感情って、それくらいに曖昧で不確かなものなのです。
だからこそ、感情を感じるまではいいのですが、感情を信じてしまうのは、些か危険な気もします。
「感情」でなく「感覚」に心の耳を研ぎ澄ませてみてください。