現代を生きていると、時間は過去から流れると思っている人の方が多いと思う。これは半分正解で半分ハズレ。
算命学の「後天運」の中の「大運」と呼ばれる10年毎に回ってくる運気というものがある。
これは、命式の「陰占」の「月干支」から生まれている。
「月干支」は、陽占で南方の星と、中央の星が算出される。
「今、ここ」と「未来」の自分がわかるのだ。
「大運」を見れば、自分が死ぬまで、10年毎にどういう気持ちを帯びながら生きていくのかがわかる。
この先、まだ経験していない未来の気持ちがわかるなんて!
これを知った時は、驚きしかなかったのだが、算命学のご相談を受けていると、見事に「大運」の気に沿って人は動いていく。
自分の”気持ち”だと思っているものが、実は「後天運」で、その”気”を感じ取って、その方向に向かうように人生はできている。
自分で選び取ってきた!と思っていることも、お腹が空いているときに美味しそうな匂いを嗅いでいると食べたくなってくるのと同じで、「見えない匂い」を嗅いで生きているようなものなのだ。
この世には「因果」と呼ばれるものは存在していて、「因」は過去にあるから「果」を未来で受け取れるという解釈もあるが、これも違う見方をすれば、「因」が未来に存在するから「果」を今現在行っている、となる。
「未来にこうなっていたい」と決めることに「因」を持ってきて、「そのために今行動する」という「果」と解釈するわけだ。
これは、目標を決めて行動しているのと同じことだ。
例えば、過去に「因」があるのは先祖の行いであって、先祖がどのように生きてきたのか、それを「果」として受け取っているのは現在を生きている子孫の我々である。
「月干支」は「家系」を表す意味もあるので、自分の「後天運」というのは、実に奥深い。
先祖から引き継いできたものが出てくるのだ。
そしてまた、我々も自分の生き様が刻まれて、それを子孫にバトンタッチしていくのである。
自分の未来をどう生きるか、未来に「因」をつくって、今を生きようではないか。