父に誘われて、食事に行ってきました。
父とは、本当にどうしようもないくらいに色々あって、
実の父と母という存在は、自分の人生においてどう受けとめていいかわからないくらい。
そんな父ですが、
食事をしている際に、周りの子どもの泣き声が気になったようで、
どうして子どもが泣いているんだ、と言い出したのです。
父は、子どもがかわいそうだ、
きっとそんな風に思って発言したのだろうなと思ったのです。
その子が、どんな理由で泣いていたのかは定かではないのですが、
子育てをしていると、もう限界だ!って思うことっていくらでもあるんです。
スーパーで、駄々をこねて泣きじゃくって寝転がって、
それを親が怒鳴っていたって、子どもが可哀想という発想になるのは短絡的。
それまで、親がその子にどう関わっていたか見えないもの。
その場面だけを切り取って、子どもがかわいそうなんて思わないでほしい。
その前後に、その背景に、色々あったんだろうなと子育てしていると想像がつきます。
そこに至るまでに、そりゃあもう様々なドラマが。
切り取って見るというのは、
メディアもそうで、カットして良いところばかり切り取って編集する。
そういうものに慣れている私たちは、
ついつい、想像力が欠如してしまう。
そして、自分の価値観に基づいて、
「こうあるべきだ」
と正しい正義みたいなものを持ってしまう。
ちょっと、丁寧に想像してみれば、
その切り取られた繋がりが見えてくるのに。
生活は、絶えず繋がりの中にあるのに、
その中の一部分を切り取られて見られることばかり。
他人も、自分も、メディアも、物も。
これは、どうやって作られたんだろう?
どのように、ここまで来たのだろう?
そう思うことは、繋がりを感じること。
その繋がりが、見えない現代。
ずっと、繋がっているのに・・・
繋がりを意識して、感じることができれば、
毎日が、少し優しくなれる気がします。