些細な罪悪感

週末、子どもたちが「お菓子何かないのーーー」とブーイング。
友人に戴いたひよこ豆クラッカーを開封した。
(本当はこっそり仕事中に少しずつ食べようと思っていて置いてあったんだけど)

中には、小粒でたくさんのひよこ豆クラッカーが入っていて、
何て可愛いんだろう!と思わず感動してしまった。

小粒で可愛いひよこ豆クラッカー

個人的に、小麦粉のクラッカーはあまり好きではない。
クッキーは食べるけれど、クラッカーって何だか好んで食べるまでには至らない。

だけど、このひよこ豆クラッカーは、私のツボにクリティカルヒット!!

ひよこ豆のずっしり感とクラッカーの食感とが合わさって、
私の好きな手作りクッキーの程良い半生っぽい部分もありつつなサクサク感。
・・・と言えば伝わるだろうか・・・笑
(食レポの人って改めてスゴイ!)

結局何が言いたいのかと言うと、
「小麦粉」や「食品添加物」の入った製品を食べていると知らず知らずの内に、
「体に負担がかかっているんだろうなぁ・・・ごめんよ」
と思いながら食べていることに気付いたのだ!

これって、結構な罪悪感の頻度で、
正直、食パンを買うときも、添加物の少ないものを選び、国産小麦を選んでも、毎朝パンだと体に負担がかかるよなぁ・・・と感じながら購入したり、
添加物の入っている商品を買うときも、ホントは体に良くないんだけど・・・と片目をつむって購入したり、
割り切れているようで全く割り切れていなかったことに気付いた私。

これは結構、衝撃だ。

もちろん、友人からもらう物だったり、出してくれるお茶菓子だったり、そういう物は有難く頂くし、
おさがりの物でも、洗剤や柔軟剤の香りがキツイものは断れるようになった。
そこの罪悪感はなくなったけれど、自分で選択しているということに結構な罪悪感を重ねていたのだった。

それこそ長男が幼稚園の頃は、周りが気を遣ってくれることもあったけれど、
逆にそれも気になっていて、私に何か贈ってくれることに気を遣わせるのは申し訳ないと感じて、そういう類はもう割り切って「ありがとうございます!」ということにした。
(それでも服はやはり難しい・・・。香りって耐えられない)

受け身の姿勢では、許容範囲を広げて、どうしても難しい場合には断る姿勢を出しつつ。
それはそれでいいのだ。

でも、今回の問題は私の選択に対しての罪悪感である。

本当はこうしたい、こう思っているということに、たくさんの思考を重ねてしまい、
自分が本当はどうしたいのかという気持ちよりも「思考優位」になってしまっている。

そして、その「思考優位」が相手のことを考えたりして自分よりも他人軸になっているから更にややこしい!笑

例えば、朝の食パンだって「子どもや夫が食べたい!」という気持ちも大切にしたいなと思うと、ついつい購入してしまう。けれど、それは「毎日」かと聞かれるとそうでなくてもいいわけで・・・。
でも、「本当は食べたいんじゃないかな」などと推測してしまって、私が家族の健康を心配する気持ちが沈んでしまう。でもその気持ちがなくなったわけではないから、罪悪感として出てしまうのだ。

なんとややこしい!!

0か100かじゃなくて、例えば一週間の内、バランスを考えていけばいいのだし、
一個食べたからと言って「もうダメだ」みたいに自分を責めなくてもいい。

それが、なかなか自分ではわかっていないのだな、ということに気付けた。
結構、私は繊細なのだ。

よく夫に「しんどくない?」と聞かれるのだけれど(笑)
多分彼が言っているのは、こういうことなんだなと思った。

いろんなことに気を配りすぎてしんどい。

でも、そういう私もいいなと思える。
「そこがいいんじゃない!」byみうらじゅん さん

みうらじゅん さん大好きです!!!自画像のカエルさんも可愛い


と心から思えるようになったのは、ホントに江角さんのおかげ。

気付きは大事。もう少し自分の声を大事にしていこうと思ったのだった。