心の足し湯をしよう

オンラインサロンの「談話会」に参加しました!

本日は、江角さんのオンラインサロンの「談話会」があった。
私は結構、この「談話会」を楽しみにしている。

それというのも、自分自身が現在ほとんど他人と喋らない生活を送っているからだ。

日々、保育園の先生との送迎時の「お願いします」「ありがとうございました」とか、
家族との日常的に「いってらっしゃい」「おかえり」「ご飯できたよ」「おやすみ」くらいの、
何と言えばいいのか、ある意味すごく幸せなのだろうけれど、自分のことをくっきりさせるような会話ができていない。

先月から、伊藤あゆみさんのコンサルティングを受けているのだけれど、
あゆみさんがすごく丁寧に私に寄り添ってくださり、自分に気付いたことがあった。

「どうしたいですか?」

ということに返答できない自分がいる、ということ。

「どうしたらいいですか?どうしよう」
という思考に陥ってしまって、自分の希望が出てこない。

そういう自分の課題が明確になっていたので、自分自身で掘り下げて考えている最中に「談話会」があって本当に良かった!
普段、話をしたことのない人、初対面の方もいて、本当なら自分の深い悩みというか、
内面の話をするのを躊躇ってしまうのかもしれないけれど、参加者の方のお話が自分にとって必要なメッセージだったりして深いのだ。

わかばさんは、最近ハマっているYouTuberの話をしてくださり、ご自身も入浴剤にハマっているということで、湯舟にたっぷりのお湯をはってお風呂に浸かるという話をしてくれて衝撃を受けたのだ。

私は家族の中でも一番最後にお風呂に入るのだが、子どもたちが遊んだ後のお湯だったりすると、湯量が少なすぎて、一生懸命に背中を湯舟の底にくっつけてお風呂に浸かる。
最近、誰かが設定を変更したのか、とにかく湯量が少なくていつも寒い思いをしながら浸かっていた。

たまたま、昨日は誰かがシャワーをたくさん出したのか湯量がとても多くて、本来ならゆっくり浸かれて幸せなはずなのに「こんなに湯を入れてもったいない!」とまで思ってしまったのだ。

そういうたっぷりのお湯で浸かれる生活から、かけ離れてしまっていた自分にも気が付いたし、

「足し湯をしていいんだ!」

ということに気が付いて、本当に自分の考え方や視野がいかに狭くなっていたのかがわかったのだ。
「心の足し湯をしましょう」
という名言まで飛び出した。

お風呂のフチ、ひたひたに浸かって良いんだよ。

自分なりに、子育てをしている中で力を抜いているところや、
母親らしくからの呪縛などもかなり解消できていると思っていたし、
自分にはやりたいことがありすぎるという自覚もあったのだけれど、
あゆみさんのコンサルを受けて、自分のサイトを育てていく上で結局本当に自分がどうしたいのかという壁にぶつかっていて、それを考えていると、他人の時間軸で生きている自分が露呈してしまい、
「本当にやりたいこと」というのが全くわかっていない自分に気が付いたのだ。

早速「談話会」の後に、子どもを連れてランチに行って、本当に自分の食べたい物を頼もうと思い、
大きなオムライスを頼んだのだけれど、大きすぎて食べられなかった。

自分が望むものが何かわからない・・・

完全にスランプである。

けれど「談話会」で浜田綾さんのお話で、日常生活で感情が動いたことを書いていくと自分の思い込みがわかるというお話をされていて、それって正に私が内観してきたことじゃないの!
と感動したのだけれど、それってこうしてブログに書いていく、アウトプットする、自分でノートにせっせと書いているだけじゃなくてもいいんだ!
というところが最大の衝撃でした。

いつもの私だったら「談話会」のあとに、気付いたことをノートに書き出して、それがわかってから言葉が降りてきてブログを書こうという風になるのだけれど、
それを一回やめて、そのままリアルな感情でブログを書くことにした。

整理せずにアウトプットしている中で、内観できて答えに辿り着くこともあるのかとすごく勉強になった。

「談話会」で人と話すことがすごく大切なんだ、と改めて気付けて良かった。

私は、いろんなことを結構な頻度で諦めてしまっているということにも薄々気付いていたのが確信になったりとか、
決められた範囲の中でしか選択できない、とかなり思い込んでしまっていることもわかったので、
もっと広い世界を見て、選び取っていけばいいのだと思えた。

長い間鎖に繋がれた動物は、自然の中で枠のない世界にはなされても同じところをぐるぐるしてしまう、
今まで自由に動けることのできた範囲の中でしか行動しないというのを見ていて、
「かわいそうに・・・」
と思っていたが、まさかそれが自分のことだったとは・・・。

ライター塾で、企画書を出せなかったというのも、
そもそも「自分のやりたいこと」というものが明確になっていないので書けるわけがなかったのだ。

もうトコトン、自分のやりたいこと、希望がわからないということだけはわかった(苦笑)

大事なのは、ここからどうやって「自分のやりたいことを諦めずに取り戻すか」である。

諦めてしまう原因としては、今までの子育ての状況や環境で、
やりたいことを思い描いても実現できない、叶わない、自分よりも家族を優先しなければならない、そんな状態が長く続きすぎていて、細切れの時間で自分のことをやり続けていく。
自分は後回しになっているので、それがストレスになってあるとき爆発して、そのときしか自由にならない。
むしろ、ストレスを溜めて爆発したら自由になれる、とさえ思ってしまっている。

それくらいでなければ、自分が優先されない。

けれど、それでは家族もたまったもんじゃないし、毎回爆発する人という定義で括られるのも嫌だ。

非常に葛藤である。
私は算命学の命式的にも、家族か仕事かどちらかになるという極端な命式なので、
家族と両立することがそもそも無理なのかもしれない・・・と泣きそうになるのだが、
そう思ってしまうと一生、このまま自分を優先せずに死んでいくことになっても嫌なので、なんとか自分のやりたいことを明確にしていくしかない。

「談話会」で年内に自分のやりたいことを明確にするという目標を発表したので、
自分を取り戻していくことをやろうと思う。