新年のご挨拶

あけましておめでとうございます

大晦日に雪が降り積もり、元旦から雪景色です。
年越しそばを食べに行って、雪が降りしきる中大喜びで子どもと夫は庭で雪合戦をして遊んでいました(笑)
男ばっかりでキャーキャーと遊んでいて楽しそうでした。
もちろん私は、年の瀬に年賀状をせっせと準備して(笑)参加しませんでした。

次男作・⛄️

年末にようやく友人から勧められていた映画『マトリックス レザレクションズ』を観てきました。
映画館が久しぶりでしたが、やっぱり映画館で映画を観るのはいいなぁと改めて思いました。
お客さんも少なかったですし、気兼ねなく観られて良かったです。

ネタバレを含むので、まだ観られていない方はご注意ください。
シンボリックな要素がたくさん含まれていた映画でした。
黒猫・鈴・子ども・孔雀・胎児・ループ・赤・青・虹など・・・
全て読み解けているわけではないのですが、制作者が言いたい意図が隠されているのは間違いないと思います。

めまいが酷くて困っていたので、レメディとしての『マトリックス』というつもりで観に行きましたが、
本当に自分はどうしたいのか・どちらを選ぶのかを何度も迫られる内容だったので、
自分がどう生きていきたいのかというのを問われた映画でした。

“何かに囚われた状態である”

という風に自分のことを客観的に捉えることができたので、
その囚われた状態の、一体「何に」囚われているのかというところまで突き止めました。

ネオは、何かを思い出そうとして、思い出させないようにする人たちばかりの中に生きています。
いわゆる「目覚めさせようとしない人」たちの中にいるのです。
見張ってばかり、見張られてばかり、同じことを繰り返す中でふと、これは自分ではないのではないか?過去の自分も思い返すのです。

世の中、基本は依存する仕組みでできているので、そこから脱却するのはすごく大変。
それでも、自分はどうするのかというのを何度も問われます。

「感情を操るのは簡単だ」
というセリフもありましたが、”感情”というのは支配されやすいんでしょうね。
だからこそ、「どうしたいのか」という感情ではない意志の部分を常に問うことが本質につながるのだと思います。

それでも、感情が影響を及ぼして現実を引っ張ることがよくあります。
自分でクリアリングしている人はよくわかると思うのですが、過去の感情・思い残し・囚われを解消しない限り延々とそのループに繰り返し陥っています。
どこかで気付かないといけない。そこに気付くと次元が上がる、そういう本質も描かれていましたね。

同じ次元ではみえないものがある

ネオを探していたバッグスも、ネオと違う次元からネオを探し出したのだけれど、数学の幾何学という内容にもあるように、「上の次元にいかないと、下の次元のカタチがみえないこともある」という概念(・・・であってるかな)があって、その囚われに気付くためには、同じ次元ではそのカタチをとらえることができないと思います。
算命学でも、例えば方三位という平面的な同じ繋がり・同じ価値観で集まる(後天運)というものがあるのですが、それだけではみえない世界、半会のような違う次元との繋がり(後天運)から囚われを解消していくのかもしれないなと思いました。
けれど、そこで徹底的に壊す=天剋地冲という働きも大切で、それが物語のラストだったんじゃないかと思います。壊した先に希望を見出したので、天剋地冲という完全破壊は常に壊した先に発展すると言われますが、そこには常に希望が存在する、そんな風に思いました。

新年のメッセージ

『マトリックス』の話で終わりそうですが(笑)
今年は、”年賀状にも幸多き年でありますように”との言葉を添えさせていただきました。
「幸」とはしあわせ、運が良い、めぐりあわせという意味でございます。皆様にとって善き一年になりますよう、ご祈念致します。