不安を先取りする

かれこれ、4年程前から度々「めまい」に悩まされてきた。
実際、今も約一週間前にまた「めまい」が発症して「普通」の生活が送れなくて困っている。

最初のめまいは、ホメオパシーのデトックスで、それも突然明け方、寝ている最中にぐるぐると回り出し、動悸・息切れ・手足の痺れが一気に起こったので、救急車を呼ぼうと思ったほどだった。
(今思えば、この症状も我慢して過ごしたのだけど、流石に辛すぎてホメオパスさんに相談した。でも、今考えたら、お金を払って相談をしているのに、我慢してどうするのだ・・・とたった今気付いた)

それをきっかけに、度々発症してきて、一度めまいになると、2、3か月はクルクル回った生活になる。
頭を動かすと、クルっとなるし、寝るときも、クルクルなるので、横になることが難しい。
それを考えただけで憂鬱になるし、回っている最中なんて気持ちが悪くなって不安にもなる。

病院にも何度も行ったし、メタトロン・ニュースキャンを始め、鍼灸、バイオレゾナンス、ホメオパシー、整体、アロマなど、症状の原因を知りたくて、色々手を尽くしてきたけれど「めまい」の原因は毎回違ってわからない。
胃炎だったときもあれば、内耳が少し異常だったときもあるし、よくわからないのだ。

そして、何度も何度も繰り返すので、もうこれは本当に絶対に、自分に何か原因があるのではないかと思い始めた。

自分のカラダは、自分が悪くなるようなことを絶対にしない。
だから、「めまい」もきっと、何かのメッセージに違いないのだ。

それでも、私は途方に暮れていた。「めまい」に散々アプローチをしてきて、どこをどうやって、どのような原因でそうなっているのか、もうサッパリお手上げ状態だった。

人に救われる

先月、思い付きで立ち上げた非公開のグループがある。
『ザ・シークレット』シリーズの『ザ・マジック』を実践しようという会である。
そこに、ピンときて思いついた人に声をかけて、グループに入ってもらい、28日間一緒にマジックを体感したのだけれど、そのグループでのメッセージのやりとりが深いのだ。

私は、お手上げ状態だったのだけれど、その中で自分が気付いたことであったり、そういう気持ちを内観しつつ、グループ内にメッセージを送って、助けを求めると、的確な答えが返ってきた。

それは、今まで気付いていて、取り組んできて、それで十分解決したと思っていた事柄たちばかりだった。

私は、気付いてやってきた「つもり」で、結局「できている」わけではなかったのだ。

どこまでいっても頑張ってしまう

グループ内で、やりとりをしていて気付いたのが「頑張りすぎる」ということでした。
自分で、頑張っている自覚がないので、どこまでもやりすぎてしまうんです。
「まだ、足りない」という感覚がずっとあるので(宿命天中殺がある人の特徴)やりすぎてしまう。
それが、良い面に出ればいいのですが、こうしてカラダに支障が出るまでやりすぎてしまうのはしんどい。

「結局、私がやらないといけない」

という思いが自分を取り巻いていて、それでもってやってしまう。
それを手放せなかったんです。

その思いも、よくよく掘り下げていくと、幼い頃の両親の仲を取り持ちたくて頑張ってきた自分でした。
私がやらないと、両親が仲直りできない。そう思ってやってきたことに気付いて泣きました。

こんなに大人になっているのに、自分の行動の源が両親の仲直りのためだなんて。
もう、切なすぎる。。。

人生は完璧

こういう、両親のこととか、心の傷とか、トラウマみたいな小さなやり残しをずっとやり続けて、もう疲れてしまったり、途中で中断したり、やめてみたり。
子どもの頃、必死に頑張って生き抜いてきたことが、今の自分には無意識に苦しくなっていて、その頑張ってきたやり方をやめる、変化させることをずっと求められてきて、

人生、不公平だな!しんどいな!

って、何度も何度も思ったことがあります。
一生懸命頑張ってきたのに、更にまたそのやり方を見直さないといけなくて、好きでこうやって生きてきたわけじゃないのに、なんだよもう!!!
って、何度も思います。

「自分のために」とよく言われるけれど、自分を後回しにしたり、頑張って生きてくると、何が自分のためになっているのか、どういう状態がベストなのか、よくわからなくなります。

そもそも、安心感・安全基地が形成されないまま生きてきてしまったので、「安心感」というものは自分に備わっているものではなくて、紙きれのような感覚で。
「安心感」が欠落しているので、いつも紙切れのような「安心感」を求めて、すぐに壊れて、また求める・・・を繰り返していくのですが、ふと気付いたんです。
「安心感」を得るために「不安」になっていたんです。笑
安心したいから不安になるという、本末転倒な心のしくみ。

それに今回気付けたのも大きかったけれど、今までそういう一つ一つの苦しさから、自分を解放していくことの虚しさにフォーカスしてしまっていたのだけれど、こういう思いを抱えてきたことで、辛さや苦しみがわかって、今の自分に足りていないことがわかって、そのままではいけない、このままではいけないと感じ続けて、もがき続けて生きているその瞬間に、「今そのとき」に必要な出来事がきちんと自分には与えられているということ。

自分のしがらみを解放することというテーマも、自分で組み込んで生まれてきたのではないかと思う程。

昔、学校の先生に赤ちゃんが生まれたときに手を握り締めていたものを放す、そのときに抱えて生まれてきた夢や人や希望なども全部人生でもう一度見つけていくんだというような話をされたことがあって、それを正に感じているところ。

世界は全力で応援している

いたるところに、メッセージというものは溢れかえっていて、どんなところからだって、学びがある。

先日、ひょんなことから友人に誘われたお話会で、今の自分に必要なメッセージが溢れてきたり、
最近最終回を迎えたドラマのセリフもそうだった。

「そういうふうにしか、生きてきたことがないからわからない」

と主人公が言うのだけれど、本当にそうで、こうやって生きてきてしまった自分がダメなのだと否定してきていた自分にも気が付いて、わからないからダメなのではなくて、わからないからやるしかなくて、わからない、そういう自分ではないから、不安になるのではなくて、楽しもうと思える。

世界は全力で自分のことを応援してくれているのだ。

繰り返す「めまい」を何とかしたくてやってきたことも、全然無駄ではないし、
さっさとなんとかしてしまいたいけれど、こうやって数年かけて「自分を信頼する」という結論が見えてきて、何度も何度もそれに向かって生きていくように促されて、今の自分がここにいるのだ。

愛された経験がないから愛せない、は嘘だし、
安全基地、安心感が形成されていないから、ずっと安心感を得られないわけではきっとないと思うのです。
自分への信頼を、ちゃんと自分で確立したい。
試行錯誤しながら、やってみます。