癸卯年スタートしました

ショーコ
ショーコ

今年もよろしくお願い致します!

あけましておめでとうございます!立春ですね^^
2022年12月の冬至から、立春を迎えて年が明けるのをソワソワして待っていました。
ソワソワしつつ、壬寅年に回る個人的な十大主星のテーマのやり残し(いわゆる宿題)がたくさん畳み掛けてきていたので、最後のあたりはヒィヒィ言いながら過ごしていました(苦笑)

毎年そうなんですけど、自然界ってなんて厳しくて優しいのだろうと感じていて、こちらがやり残している宿題なのに

自然界
自然界

これ、やり残してるから今年中に片付けといてや!

と無言の圧力をかけつつ、お尻を叩いてくれるわけです。

私の場合は、鳳閣星がテーマだったので、健康・子ども・自然体などに関するテーマがガツガツやってきた1年でした。夏くらいに流行りの風邪をひいて、それでも健康第一・・・と思いつつ元気になると忘れがちになるので、最後の方は、

自然界
自然界

健康のテーマもう一回ここらへんで言うとくよ!

という厳しくも優しいメッセージの元、久々に夜も眠れないくらいの偏頭痛で参りました(^^;)

ショーコ
ショーコ

これは言われてるわ・・・健康忘れてないやろかって再確認きてるわ!

と、改めて気を引き締めて過ごしました。

実際には、こんなセリフでわかりやすく教えてくれるわけではなくて、出来事が起こるので、その出来事を読み解くと、実は自分の年運の十大主星との絡みがあるというような形です。
面白いですよね。

先日、「WHO ARE WE 観察と発見の生物学 国立科学博物館収蔵庫コレクション vol.01 哺乳類」を見てきました。
剥製がたくさん展示されているのですが、剥製を観察してわかることを紐解いていくような、新しい発見が見つかる展示内容で、展示物に付けられているコメントに本質が書かれていたりしてハッとしました。

私は、自分自身に生月天中殺があるので、自分の現在(今)が中殺を受けていて、どこまでも際限がなくなってしまうので、いつも何か足りない感覚になったり満たされなかったり、このままじゃいけないと思いがちなのですが、この展示を見て、自分に必要なものは備わっているんだと気付かされました。

普段、わかることを求められすぎて、わからないことがダメという風潮があるように思うのですが、こういう展示を見ると、未解明や未解決のことって当たり前の世界なんだと安心します。
”仕組みは、ほぼ解明されているという構造色。でもそれが何のための輝きなのかは、未解決のまま”
という一文にドキリ。
何でもわかる、わかろうとしすぎることも、ある意味、驕りなのではないだろうかという気持ちと、それでもわかりたいという未知への欲求と。
わかっていることを教える、提示することももちろん大切だけれど、これはどういう輝きなのだろうか?と考えるきっかけになって、わからないことが誰かの役に立つこともあるのだなと実感しました。

ヤマアラシも哺乳類だったなんて驚き!そして「これはアッシュの毛だよ」と教えてくれる息子。『SING』に出てくる、長澤まさみさんが声優を担当しているアニメキャラ。なるほど、そうやって学んでいるのかと私はじんわり関心します。

「◯だから ◯」
という世界は確かに存在するのだけれど、日常はどちらかというと、
「◯ なのに ▽」
という世界に近い気がするのです。何が起こるかわからない。

単純に『SING』というアニメが好きで何度も観て楽しんでいただけで、たまたまヤマアラシの毛を見る機会があったけれど、私は「アッシュ」というところに全く結びつかなかった。けれども息子はアッシュ=ヤマアラシだとすぐに答えた。机上の勉強だけが全てじゃない。どんなことからも吸収し、学んでいる。

私は多分、自分自身が「◯だから◯」の世界に住みすぎているような気がしたのです。

普段、敷布団で寝ているのですがホテルなどに泊まるとベッドで落ち着かない。
今回の展示を見に行った際もホテルのベッドで、何が嫌って掛け布団がマットレスに挟まっていて動かないんです。
掛け布団に自分を合わせて寝ないといけないと思っていました。
それが息子は、これどうして引っ掛かっているのと言って掛け布団をマットレスから抜いたのですよね。
何を今更と思われるかもしれませんが、私はずっと掛け布団に自分を合わせて窮屈すぎて苦しかったんです。

ショーコ
ショーコ

布団、マットレスから自由にしてもいいのか!!!


と衝撃でした。誰に怒られるわけでもないのに、勝手にそういうものだと思い込んでいる。

これしかできない、これしかダメ

そういう型に勝手にハマっているのは自分自身なのですよね。
今年は卯年。小さな芽が出てくる年です。
自分の殻を破って、スロースタートで始めていきたいと思います。