誰にもわからない

人生には答え合わせが多い。
大抵、後から気付くことばかり。

「これをやるためだったんだ!」
あのときの選択が、これに繋がっていたのか…というような。

今日は用事を済ませて、次の場所へ向かうとき、
目的地に向かうためには左折をしなければならなかったのだけど、
たまたま前方に教習車が2台も続いて、避けようと車線変更をしたら、
車間距離を取りすぎて変なところで停止されて戻れない。

仕方なく別の道に行こうと思ったら、教習車も並走して曲がれずに全く当初とは違う場所に。
仕方がないので、
「もうこの際、違う目的地でもいいや!」
と切り替えて向かうと、
目的地の前に立ち寄った場所で、偶然私の横を通り過ぎた人達の会話が耳に入った。

「2年後、5年後なんて誰にもわからんやん」

たったその一言なのだけど、確かにその通りで、ハッとしてしまった。

先の予定やシフトを入れたりして、自分の未来が確定したような気分になっていて、
それがずーっと続いていくと、
狭い枠の中で生きているような、
「こんな風にしかならない、なれない・・・」
そんなことが当たり前に染み付いてしまっているような気がしていたけど、
未来なんて全く誰にもわからないのだ。

そして、私はこのセリフを聞くために、あのタイミングで教習車と並走したのだ。
それは、誰から見てもわからないことだけれど、
このセリフを聞くためだった、とハッキリと確信が芽生えた。

『ヒカルの碁』という少年ジャンプで過去に連載された漫画で、藤原左為というキャラクターが主人公のヒカルに碁の場面を見せた後に気付くシーンがあるのだが、

今…わかった。

神はこの一局をヒカルに見せるため

私に千年の時を長らえさせたのだ

という藤原左為のセリフ。
左為は気付くのだ。
自分がなぜ、千年後にやってきたのか、ヒカルと出会ったのか。

そんな風に自分に確信が持てる、そんなことが人にはある。
何気ないことでも。
日常のありとあらゆるところに、そういう自分を取り巻く世界には神様仏様がいて、
自分に必要なことをきちんと教えてくれると私は、思っている。

私の横を通り過ぎていった彼女たちは、
私に勇気を与えたことを気付かないかもしれないけれど、
きっと何か彼女たちには、また循環が起こって、
巡り巡って何か勇気を与えられることになるのだろう。

私は、自分の言葉を紡いで、そのとき、誰かの何かやきっかけになることに繋がっていけば良いと心から思っている。

誰にもわからない未来に、歩いていこう。
そう勇気を貰えた日だった。

休日に250個ペロリとみんなが平らげた餃子の一部。ひたすら包んで焼いていた(笑)