そうなるようになっている

何度、このネタを書いたことだろうか。
キーポイントとなるような出来事があるとして、その出来事以外というのはどういうルートで行くのかは決められていない自由だけれど、大まかな方向性というのは存在していると思う。

”お知らせ現象”

と私は呼んでいるものがあるのだけど、大まかな方向性からあまりにもズレたりすると、
「そっちじゃないよ!」
とどこからともなく、自分が気付くようにお知らせしてくれるようになっていると思うのだ。

例えば、体調を崩すというのがわかりやすいけれど、母親は子どもにそれ(体調を崩す)を投影することもある。
もしくは、配偶者など身近な人にも投影しやすいと言える。

次に多いのが、怪我だ。
怪我もお知らせ現象とも言われ、切ったり、打撲したりと様々だけれど、
ホメオパシー的に言うなれば、切るのも打撲もレメディーが違うし、むしろ打撲の方が弊害が大きい。
子どもが打撲をすると怖いので、私はすぐアルニカ(アーニカ)を飲ませるようにしてきたし、夫もよく打撲をするので、ホメオパシーでどのレメディに一番お世話になっているかというとアルニカ一択である。

少し脱線したが、骨折までいくと、

ちょっとちょっと、その進もうとしてる道とか時期とか大丈夫なん?見直した方がいいんちゃうのん?

と、さっきよりは警告音が大きくなる。
何故なら、骨折するとある程度は安静だったり、動けなくて不自由になったりする。
強制的に動きが制限されてしまう。ストップがかかると言ってもいい。

それでもまだ突き進もうとする先に、もっと大きな警告音が鳴り続け、それを無視して進むのなら・・・。

といった具合である。

”お知らせ現象”は誰にでも起こる

特定の人だけに起こるものではない。
全ての人に平等に起こる。

それに、気付けるかどうかというのはまた別の話。
決められたルートを寸分違わず歩かねばならないのか、とも違う。

ある程度のゆるさは存在するし、例えば道を踏み間違えやすい時期というのも算命学で注意する時として出てくる。
言い換えれば、そういう時期を注意して過ごせばいい。
そして、動けない時期に無理に動こうとしない。
動けないからこそ、もがきたくなってドツボにハマる。

動けない時は、無理をしないのが一番。
何か、変な焦りから行動したくなってしまう時期には要注意。

お知らせ現象に耳を傾けて生きていると、表面的では見えなかった世界がみえてくる。

モンブランが高すぎたのでマロンケーキ

自分の生きる世界というのは、表面的に見えていることだけでは到底計り知れない。
だからこそ、「お知らせ現象」のサインがやってきたときに、”ただの”現象として捉えてしまうのは勿体ない。
正直、自分のことすら自分が一番よくわかっていると脳が認識できているかは別物だ。

その都度、丁寧に自分と向き合っていく。
自分の”声”を聴く。こういう作業が面倒くさいという人も多いけれど、実際それが一番近道だったりするのだ。

そうなるようになっている

というのは、時に自分の意図(意思)とは無関係に事は動くものだけれど、
ちゃんと収まるところに収まるようになっているのだと思う。
それが自然の摂理というものだろう。
そこに、人の意思がのっかるのでやっかいなだけだ。
結局、コントロールできるのは自分の感情のみなので、そこに対してアプローチしていくしかないのだろうなと改めて思うのである。