センシティブな内容なので、閲覧注意です。すごく重たい話をします。
私は元々、小さい頃から占いが好きで、占星術、タロット、四柱推命、紫微斗数、数秘、カラー、マヤ暦、手相などなど・・。
とにかく色んな占いを一通り受けてきましたし、自分でも実際に勉強してきたものもいくつかあります。
それでも一番納得感が強かったのが「算命学」だったんです。
算命学との出会いはこちら・・・
2018年の天中殺に出会ったのですが、最初はこんな雰囲気で、漢字が多くて全く何が書いてあるのかもさっぱり分かりませんでした。
私の過去をほんの少し話します
私は、3歳の頃に母親が突然いなくなってしまい(のちに両親が離婚したということがもう少し大きくなってからわかるのだけど、母親は死んだと言われていた)その経験がすごーーーく自分の人生において影響を与えたのです。
母親がいなかったことが、コンプレックスでもあり、自分の頑張る糧でもありました。
一生懸命、いろんなことを頑張ってこれたのは「母親がいなかったから、きちんとしていない」と思われたくなかったという劣等感が支えてくれたというのもあります。
あの当時は、今の時代とは違い、両親がいないということがほとんどなくて、しかも父子家庭。
田舎というのもあり、親がいないというのは、どこの誰というのがすぐに分かってしまう。
こんなところ、早く出て行きたいと思っていました。
念願叶って大学生になる
こんなところ(地元&家)を早く出て行きたいと思っていた私は、地元に残る選択なく県外の大学へ進学しました。
そして、ずっと子どもの頃から抱えてきた思いがあり、教職課程を選択します。
もちろん、絵を描くということも捨てられなかったので、マルチメディア専攻で二足のわらじを履く生活です。
結果、当時大学卒業生の中で獲得単位数がダントツでトップだったという偉業は成し遂げました(笑)
教職課程の中で、発達心理学のような科目が必修だったのですが、そこで衝撃の事実を知ります。
愛着問題です。
当時は、愛着障害という言葉が今ほど浸透していなかったので、大学で習った時は「愛着に問題がある」というようなことを教えられました。
それが、見事に私に当てはまっていたのです!!!
一番知りたいこと。じゃあどうすればいいの?
愛着に問題がある人の特徴に私が当てはまっていたことで「じゃあどうすればいいの?」という壁にぶち当たります。
それが自分だと思っていたことが、自分ではなく「愛着形成」における課題だった、ということはわかったけれど。当時は、それをなんとかするのは「自分がもっと頑張ること」で解消されると思っていました。
そして、そう思っていたので本当にがむしゃらに頑張りました。
がむしゃらに、闇雲に頑張るというやり方は、その後数年間継続することになります。
それって潜在意識の問題かもよ
無事に大学を卒業し、就職し、結婚して出産し、次男の妊娠中まで一気に飛びます。
それまでも生きづらさを抱えて過ごしてきたわけですが、次男の妊娠中に現実で行き詰まるような出来事が起こります。あまりにもしんどいので、どうしたものかと思っていたら「潜在意識を変える」という考え方に行き着きます。
自分の周りに現象化して現れてくることは、全て自分の内面の投影。つまり、自分が創り出したものだ。
というもので、潜在意識を変えたら、現実が変わるというメソッドにどっぷりハマり、自分の内面をノートに書き出して、ひたすら掘り下げて解消していく、ということをやります。
とことん、これにハマっていたので、インナーチャイルドを癒すとか、内面を変化させていくことで変わるというのも体感して、すごいと感じていました。
それでも納得がいかない過去
内面を癒して、現実が変化していったことは間違いないのですが、自分の中でどうしても納得がいかないことがありました。
母親が子どもを置いて出て行ったことと、父親の暴力でした。
それってどういう理由でそうなったんだろう、両親の精神力の問題なのでは?納得がいかない!
と、ずーっと思っていました。
算命学でその理由が解明される
ようやくここで算命学が登場します。前置きが長くてスミマセン。
どうしてこういう人生なのか?
の答えとして、算命学の命式(自分の生年月日の星が書いてある表)にそこに全ての答えが書いてあったのです。
つまり、私が生まれ持った星に、両親の離婚(場合によっては両親か私どちらかの死)が既に現れていたということ。算命学すごい、の一言です。
あの当時から学びを深めた今だから分かりますが、私の存在というのは両親の”結果”であり、私が生まれた生年月日というのも、「両親がどう生きてきたか」が集約されているわけです。
もっと遡れば、「先祖がどう生きてきたのか」ということが、家系のカラーであり、その生き方が子孫に反映されるということです。
だからこそ、両親の生き方だけではどうにもできなかったという部分が私に”現われた”ということでもあると思います。
両親だけを責めるわけにもいかないし、ある意味、家系を発展させるために両親も離婚という「犠牲」を払った存在であり、命が持っていかれなかっただけでも良かったと考えられます。
しかし、私はこの宿命をもってして、この世界を生きていかなければいけないので、知って終わりではないのです。
この与えられた星を使って、どう生きるか?
という考えにシフトしていかないといけないわけです。
宿命を活かして生きるにはどうすれば良いか?ということを、算命学に出会った時からずっと考えています。
宿命を生かさなければ他人の肥やしになって生きると言われます。
宿命から逸れすぎたら、この世界から淘汰されるというのも自然の姿です。
だからこそ、宿命に真摯に向き合って、算命学という壮大な学問の担い手として学びを継承し、またそれを後世に何かしらの形で伝えていく必要があるわけです。
私は、継承運ではないので、後世に何かしら”残していく”というよりは、伝達本能が強いので”伝えていく”という在り方ですが。
計り知れない世界を生きている
自分が認識できる世界というのは小さくて、内観をずっと一生懸命にしていた時には気付かなかった因縁。
「自分がどう生きるか」
ということが、これほどまでに影響を与え、そして子孫や周りにまで影響していくということを知った時は、もう壮大すぎて途方に暮れそうになりました。
今でも、そういう気持ちというのはありますが、それよりも自分を生きるという方向にシフトしていく人が増えたら良いと思っています。
それが、世のため人のためになると心の底から確信しているからです。
私のブログを読んでくれた方が、自分を生きる、自分の気持ちに気付く、そのためのきっかけになるブログでありたいと思っています。